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2012年2月14日 (火)

土佐の山奥で

またまた週末は家周りのメンテナンス頑張っていました。
と言っても今回は四国の山奥 父方の祖父の家です。

きっかけはお祭りでした。
父は高知の山村の生まれですが2月11日の建国記念日は毎年その山里が秋葉祭りで賑わいます。
私は小さい頃父に連れて行って貰いましたが、その時祖父が神主さんのような
真っ白な衣を着ていていつもの祖父とは別人のように近づき難かった記憶があります。

Img_8765
そんなことはしばらく忘れていましたが伯母の介護をするようになってから
伯母が毎年お祭りに寄付をしていることを知りました。
それがきっかけでお祭りのお世話をしている親戚の人と連絡を取ることになり
土佐三大祭りと言われる秋葉祭りが著しい過疎と高齢化で存続が困難なことを知りました。
親戚の人も一人何役もしながら一生懸命お世話をしているようでした。
今のうちに見ておかないと…と思いながらなかなか叶いませんでしたが
今年は建国記念日が週末ということもあり、急に思いたち
横浜の弟や次男も誘って行きました。

P1000556
弟は帰るからには祖父の家にも行きたいというのですが
2005年夏に父や伯母を連れて私が行った時には長い間放置した空き家は藪の中で近づける状態ではありませんでした。
それでも父や伯母の友人のKさんの力を借りて草を刈って貰って入りましたが、
雨戸を閉めた家の中は暗くてカビ臭くてとても悲しい気持ちになりました。
あれから7年Kさんも父も伯母も他界しました。
誰も頼れないので今回は開墾の覚悟で夫婦揃って作業用のブーツをトランクに詰めて行きました。

お祭り前夜はブログ仲間のニコニコおかみさんのお店
ねねさんで家族4人久々集まりさらに妹夫婦・弟と7人で盛り上がりました。
美味しくてたぶんいつもの2倍位食べてしまいました。
私でさえそうでしたから大食い家族におかみさんは驚かれたことでしょうね
食べ過ぎて寝付かれない位でしたが
翌朝は朝早くから出発して秋葉祭に行きました。

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念願のお祭りだったのでゆっくり見たかったのですが、
今回は祖父の家のこともあったのでお昼過ぎまで楽しんで
親戚が炊き出しのお手伝いに行ってる地元企業に挨拶に行きましたら
そこの社長さんが気前のいい方で訪ねてくる人みんなにお食事を振る舞っているようで
私たち家族4人と弟 総勢5人もお寿司や炊込みご飯 お煮付けなどお腹いっぱい食べさせて下さいました。
おまけにビールやお酒まですすめて下さいましたが流石に辞退させて頂きました。
いくら親戚が働いていたとはいえ見ず知らずの方にこんなご馳走になるとは夢にも思いませんでしたので人の温かさに感激しました。(先方は祖父がお祭りに貢献していたのを知っているとおっしゃっていましたが)

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その後祖父の家に行くと
想像通り家の向い側にあった竹藪が道を超えて浸食していて鬱蒼としていました。
家にも竹が倒れかかりそれに葛が絡みつく
お祭りの神社の露天で買った鋸や鉈などを手に男性4人は力の限り大暴れ

Img_88141 本当は根っこから抜かなければ意味はないのかも知れませんが
とても間に合わないので竹を切って切って切りまくりました。
足の悪い私は屈むのが大変なので切った竹の整理や葛の処理など全体の監督です。

凄い寒さで手袋していても しもやけになりそうな位手が痛かったです。
切った竹にもこんな氷が詰まっています。
それなのに体育会系のノリで力仕事をやっている男性は熱い位になったみたいです。
10メートルもあろうかというような大きな竹に葛が絡まり
切っただけでは倒すこともできません。

Img_88112
二人がかり三人がかりで綱引きしてようやく引っ張りぬくのですが
それでも抜けない竹もあって四人がかりで綱引きしたのもありました。
日頃ばらばらに住んでる家族が文字通り力合わせて作業する様は
大変そうだけど楽しい光景でした。
それぞれ頑張った甲斐あって数時間で家の周りは明るくなりました。

それから弟が家を開けて入るとかかっていたカレンダーは1987年
家を開けて丁度25年
だったようです。
一部屋根が壊れて家の中に氷が張っているところもありましたが
煤けた大きな大黒柱や板の間は百年以上もしっかりとしていました。
弟が火をくべてみんなで囲炉裏を囲みしばらく暖をとりました。
家の煙突から25年ぶりに煙が上がりました。

前に私たち家族と一緒に来た父と伯母そしてKさんはもういません。
今回急な思いつきだったのに家族全員と弟が揃ったのも奇跡的な出来事だったような気がします。
次は誰といつこの家の煙を見ることになるのでしょう…そんな思いで煙を見ました。

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日々のできごと」カテゴリの記事

コメント

お~!
今度は、お祖父様の家のメンテナンスでしたか?
tearoseさん一家は、働き者ですね~!
家を空けられて25年も経っていたのですか?
囲炉裏を焚いて家の煙突から25年ぶりに煙が上がったとは
感無量でしたね。
お祖父様も喜んでくださったのではないでしょうか?
ほんとうにお疲れ様でした。
こういう時、男の子がふたりもいるというのは、頼りになりますね。

お祭り前夜も、ニコニコおかみさんのお店で楽しいひと時でしたね。
お祭りは、過疎と高齢化で存続が困難なのですか?
残念ですね。
貴重なふるさとのお祭りを、なんとか大切に存続していって欲しいものです。
そして、思わぬ方からのごちそうのおもてなしも、感激でしたね。

投稿: みー | 2012年2月15日 (水) 23時16分

松山の焼き鳥ねねでの“全員集合!”は楽しかったようですね!
祖父さんの家も古民家として貴重な宝物のようですね。
周りには孟宗竹も繁っているようですから、手入れをすれば美味しい筍が
春には食べられそうですね。
オーストラリアのお嫁さんが参加できなかったのが残念でしたね!
又、そのうちに“全員集合!”が掛かるのでしょうね。

投稿: shinobueakira | 2012年2月15日 (水) 23時31分

みーさんへ

最初はお祭りに帰るだけのつもりが
つい大がかりなことになってしまいました。coldsweats01
日頃女の子がいるお宅は良いなぁ…と羨ましいばかりですが
こんな時ばかりは男の子がいて良かったと思います。
厳寒のこんな時期にアウトドアで大仕事なんて
たいていの女の子は逃げだしそうですよね

だけど思い切って帰って良かったです。
故郷は迎えてくれる人があっての場所
田舎のおもてなしや
ニコニコおかみさんのおもてなしにほっこりしました。

後先になりましたが暖房のエントリーコメント頂いていたのに失礼しました。

投稿: tearose | 2012年2月17日 (金) 00時34分

Shinobueakiraさんへ

ねねさんでは大変お世話になりました。
shinobueさんのお陰でとっても楽しい夜でした。
祖父の家は私が幼い頃は茅葺きで
高山の古民家みたいな風情があったのですよ
茅が手に入らなくなってから瓦になりましたが
囲炉裏や名人の作った自在鉤は未だに健在です。
移築できるならもっと山の麓に移築して
夏の別荘にでもしたら素敵なんでしょうが
費用もなければ行く人もいない
家は住む人がいないと維持は難しいものですね

投稿: tearose | 2012年2月17日 (金) 00時41分

お店にお立ち寄り頂きありがとうございました。
とてもうれしかったです。
みなさんが集合された目的はこの秋葉祭りと
お祖父さんのお家の為だったのでのすね。
ご家族一同全員が集まれて 本当に良かったですね。

地元のみなさんが大切に継承されてきた
素晴らしい伝統行事が 少しずつ消えていく事は寂しいことですね。
お祖父さんの お家も住む人がなく荒れていくのも寂しいことです。
でも 25年ぶりに煙があがった事は 感慨深いものがありますね。
みなさんが力を合わせて 竹藪を切り開く姿 
お祖父さんや叔母様そしてKさんが嬉しそうなお顔で見守って
いらっしゃったような気がします。

田舎のわたしの生家に お祖父さまの家がどことなく似ていますよ。

tearoseさんのお家のメンテナンスで頑張られた後なのに お疲れはでていませんか?
お家の方は まだいろいろ計画されてるようですが 
無理のないようぼちぼちなさってくださいね。

ご主人様にも 先日のお礼をお伝えください。
またお会いできる日を楽しみにしています。

投稿: ニコニコおかみ | 2012年2月17日 (金) 00時56分

過疎の進む土佐の山間の村に生家のある私には、深く心に染み入る内容で、こみ上げてくるものを押さえきれず、目頭熱くして何度も読み返しました。
竹藪の中の住家となられましても、それらの藪を切り開いて、炉に火をたき煙で家を燻らすという行為、容易なことではありません。
ご家族のルーツや絆を大切になさる慈愛に満ちたtearose様ご一族のお姿が浮かび上がって参ります。
ご先祖様への何よりのご供養となられたことでしょう。
本当に素晴らしいレポートを有難うございました。

tearose様のご出身は松山で、お父上の御生家も土佐の山村のご出身ということを今回初めて知りました。
私は生家は土佐ですが、高校時代の三年間は宇和島市に下宿致しました。
年齢的には私の方が、tearose様よりかなり先に生まれておりますけれど、‘遠からぬご縁’であることがわかり嬉しくなりました。

投稿: はなあかり | 2012年2月17日 (金) 03時55分

ニコニコおかみさんへ

先日は念願のねねさんで楽しい時間が過せて良かったです。
息子夫婦が忙しくて足並みが揃わず
長居してしまいましたが温かいおもてなしありがとうございました。
おかみさんのお陰でまた松山に帰る楽しみができました。

おかみさんのご生家は街の中心部だと思っておりました。
街の中心部でお育ちだったように思っておりました。
私たちが小さい頃と比べると
田舎と街の格差が激しくなりましたね。
田舎に住んでこういう祭りを伝承していく人たちには頭が下がります。
お祭りに出かけたり神社に寄進したり
僅かでもできることで応援したいと思います。

投稿: tearose | 2012年2月17日 (金) 19時41分

はなあかりさんへ

驚きました。
はなあかりさんのご生家が土佐でいらっしゃるなんて
それに宇和島には幼馴染みがおりますし
不思議なご縁を私も嬉しく思っております。

私の祖父は高知のことを土佐としか言いません。
何十代も前から土佐の山村で暮らしていた一族ですから
ご先祖様の話に及ぶと後から来たお殿様を長宗我部さん山内さんと
まるでお客さまのように呼んでいました。(;^_^A
百才も生きた祖父にとっては高知よりも土佐が自分の場所と思えたのでしょうね
はなあかりさんが土佐の出身と書かれたのを見てとても親しみを覚えました。
はなあかりさんのご生家はどのあたりかわかりませんが
今はどなたかお住まいになっておられますか?
祖父の家は戦時中28人も疎開してきたというみんなの故郷だったのに、今では寄りつく人もおりません。
故郷は人が住んでいてこそ…と思いました。
数年前今回会ったはとこの地区のお正月が過疎の村の現状としてNHKのハイビジョン特集で放送されました。
本当に過疎がすすんで村に残っているのは高齢者ばかり八人位だったでしょうか
ずっと村に暮らしたいという思いがありながら健康上の不安から
街に住む子供たちのところへ行くかどうか迷っているお年寄りたち
そんなお年寄りを見守り一日でも長く暮らせるよう支援する
村で最年少(60代)のはとこが迎えるお正月の様子でした。
切なくなるほど胸に詰まるものがありました。
土佐でなくても廃れゆく故郷を想う人は多いのでしょうね
何度も再放送されました。
すみません
同じようなルーツを持つはなあかりさんについ長々とこんな話をしてしましました
日本の田舎が元気になるようなそんな妙案があれば…と思わずにはいられません。

投稿: tearose | 2012年2月17日 (金) 20時17分

昨日の夜更新に気づきました(^^ゞ

あの連休でこんな大仕事されていたんですね。
家族みんなで力をあわせてお祖父さんの家のまわりをきれいにされ、
しばらくの時間過ごされたということで
お祖父さんもお父さんも喜ばれたことでしょうね。
時々めちゃくちゃパワーがでる方だなぁと感心♪

投稿: ともっち | 2012年2月18日 (土) 11時17分

ともっちさんへ

このところ週末ごと大仕事です。
今日も頑張りましたよ
…といっても今日は少し気味ですが
一度始めると止めどなくやることがあって
本当にいつ終るのやら…

>時々めちゃくちゃパワーがでる
そうなんです。
週末にパワー出す為にウィークディは充電ばかりcoldsweats01

投稿: tearose | 2012年2月19日 (日) 19時20分

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