この降りしきる雨が情けの雨でありますように
今週 母の命日に前後して大事な人をまた失いました。
ちょうど、一年前も母を失って私の心は彷徨っていました。
その時は書けなかった母への想いを残しておきます。
母は子煩悩で手芸や料理の好きな家庭的な人でしたが
子沢山で仕事も持っていましたからいつも忙しく働いていました。
目立たず、特に手がかかるわけでもない私は病気の時以外は母に甘えた記憶がありません。母はどんなに慕わしくても私にとって手の届かない存在だったように感じていました。
晩年母が病気になってからも遠くに嫁いだ私はお見舞いの他にできることがなく
介護も姉にまかせきりになってしまいました。
母の晩年は10年もの長い間、自分の意思を伝えることも出来ない状態でしたから
身体が近くにあっても母の心は、ずっと遠くを旅しているような感じでした。
亡くなったと知らせを聞いて駆けつけた時も
眠るように横たわっている母を見て
私には何も告げないまま、もう帰れない旅に出てしまったように感じました。
母を見送ってから娘として母にもっとできたことがあったのではないかしら…という思いと、遠い記憶の中に母が残してくれた私との絆を探して幾日も彷徨うような日々が続きました。
大家族の世話と父が経営していた会社の切り盛り、本当にそれだけで大変だっただろうと思います。
それでも5人の子供を育て上げ祖父母にも良く努めた母
好きな手芸や歌でいつも家族を楽しませてくれたり、
近所の子供たちまで招いて読書会したり
小柄な母の身体のどこにそんなエネルギーがあったのだろう…と感じます。
求めても得られない母との絆を探すうち気づいたことがひとつあります。
私は身体が丈夫ではないのに何故か人に『エネルギッシュとかチャレンジャー』と言われます。
妹に言わせるとそれは母譲りで誰よりも私が濃く受け継いだらしいのです。
体調とはお構いなしに気持ちだけで行動して周りに迷惑をかけることもありますが
波乱万丈の人生もこの気質のお陰でなんとか乗り切ってこられたように思います。
そのことに気づいて初めて母への思い(渇望?)を感謝に変えられたように思いました。
それでも、母の面影をずっと探していました。
10年以上もコミュニケーションが取れなかった母を失って正直こんなに長く立ち直れないとは思いませんでした。
とはいえ長男の引越しや伯母の入院の付き添い
オープンガーデンがあったり
忙しさでどうにか紛らわしていました。
半年位して写真教室の写真展がきっかけで
母の古い写真をデジタルの写真原稿に起こすということを始めました。
フォトショップに不慣れなせいもあったと思いますが
何度も何度も一枚の写真に向き合って気が付くとニヶ月も経っていました。
私の息子を抱いている写真です。孫を抱く母の眼差しは慈愛に満ちていて、それは私自身が母に求めていた姿でした。
そうやって母の写真に向きあううちに次第に母が身近になった感じがしました。
二ヶ月もの間、写真の中の母に寄り添うことで私はゆっくりと癒されていきました。
母の写真は写真展には飾ることはできなかったのですが
数年前沖縄で撮った写真を先生に焼いていただきました。
この頃はどうにかリバーサルフィルムでしたのでこの海でデジは一枚だけです。
写真展では縦位置で暗い海に光を投げかける空を入れたものを焼いていただきました。プリンターの先生の力で微妙な光の綾がうまく表現されて大好きな作品になりました。
この写真展で写真は撮影者とその写真の味を引き出すプリンターの合作であることを改めて体感しました。
この先生にお世話になって一年あまり
芸術系写真のプリンター第一人者として有名な方なのに
新参者の私にも気さくにいろんなお話しを聞かせて下さいました。
よく笑い泣き そして写真のお話し
そしてつたない私の作品でもけっしてけなさず優しく指導して下さいました。
先生の優しさに励まされてコンテストにも出品することができました。
まだまだ先生に教わりたいことばかりでしたのに
あまりに早く旅立ってしまわれて
私は途方にくれています。
それでもまた 私が息を殺して被写体に向かうような瞬間には
きっと先生の写真魂に勇気付けられることでしょう
ありがとうございました。
ご冥福を心からお祈りいたします。
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